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東京高等裁判所 昭和57年(う)788号 判決 1983年2月23日

国籍

中華民国

住居

東京都三鷹市下連雀二丁目四番二一号

会社役員

郭火盛

一九一四年一月二日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五七年三月一九日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官宮本喜光出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役八月及び罰金二五〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人関野昭治、同大石宏連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官宮本喜光名義の答弁書に各記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、原判決の量刑は、被告人に懲役刑の執行を猶予しなかった点で、重過ぎて不当であるというのである。

そこで、原審記録及び当審における事実取調の結果を併せて検討すると、本件犯行の態様及び犯情等については、おおむね原判決がその(量刑の事情)として説示するとおりであると認められるが、さらにこれを敷衍すれば、

本件はサカエ興業有限会社等六つの会社を経営し、同会社等からの給与、配当所得や、同会社等への建物賃貸等による不動産所得で多額の所得を有していた被告人が、その他にも台湾系華僑相互間の多数の無尽講に加入して、掛金額と受取額との差額を利息として稼ぎ、また、台湾系華僑の互助組織である三つの協同組合に、常時約五億円の貸付(一種の定期預金)をして多額の利息収入を得ていたのに、昭和五二年度、同五三年度の所得税確定申告に際し、前記会社関係の給与、配当、不動産の各所得はほぼ実際額のとおり申告しながら、右無尽講及び貸付金から生ずる利息収入については、担当税理士から他に所得はないかと念を押されているのに、あえて、ことさらに全部を申告から除外した各虚偽過少の確定申告をなし、右二年度で合計七、四五一万八、四〇〇円の所得税を逋脱したという事案である。本件の逋脱税額は相当多数であるとはいえ、億単位には及んでおらず、所得の申告率も全所得を合算した場合、昭和五二年度は約六五・二三パーセント、同五三年度は約六六・一七パーセントであって、脱税事犯としては比較的高率の方であり、これらの点だけからすると、犯情はさほど悪質とはいい難い。

しかしながら、被告人は昭和四四年五月に東京地方裁判所で法人税法違反、所得税法違反等の罪(法人税は被告人経営のサカエ興業有限会社ほか一社の、昭和三八、三九年度の所得に関し合計約六、六六六万円の法人税を逋脱し、所得税は右両年度の被告人の個人所得に関し、合計約五、一五一万円の所得税を逋脱したという、当時としては巨額の脱税事案)により、懲役一年(但し三年間執行猶予)及び罰金一、二〇〇万円に処せられ、脱税行為に対し十分反省の機会を与えられたのに、原判決も説示するとおり、それ以後も会社関係の給与、配当、不動産所得等、表に出さざるを得ない所得についてだけ申告し、昭和二五年頃から引続き行なっていた無尽講による所得については、摘発のなかったことを幸いに不申告を続け、同五〇年頃から始めた三協同組合に対する貸付金による所得についても、当初から全く申告をせず、いずれも脱税になることを意識しながら、あえてこれを続けていたものであること、右無尽講加入及び三協同組合への貸付が、台湾系華僑間の相互扶助の精神から始められ、その関係者ないしは利用者間では、仲間うちだけのことという意識から、これらから生ずる所得につき納税意識に鈍感な者が多かったとしても、前記前科のある被告人まで、これに同調することが許されるものではなかったこと、被告人が本件利息収入の不申告の理由として無尽講の親元や三協同組合の、焦げつき等による倒産の危険性を考慮したと弁解する点も、原判決が説示するとおり、右倒産の危険性はほとんど認められなかったこと等からして、到底是認し難いこと、また、犯行動機についても、被告人は年間七、〇〇〇万円を超える不動産所得を生む不動産を所有するほか、利息、配当等を生ずる預貯金、債券、株券、投資信託、貸付信託証券等でも約三〇億円に近い資産を有するのに、さらにより以上の資金蓄積を願望して、あえて本件脱税行為に及んだと認められること、等の事情に徴すると、被告人の遵法意識及び納税意識の低さは顕著なものがあるといわざるを得ず、その罪責を軽視することはできない。

してみると、被告人がその後十分反省し、本件脱税分を含めて五年分の修正申告を行ない、本税及び付帯税等をすべて納付していること、無尽講の所得について、横領被害による約一、八〇〇万円の損害が損金控除分で賄えないで残されていること、その他被告人の生齢、健康状態等、原判決当時に存した被告人のために酌むべき諸事情を斟酌しても、本件は懲役刑の執行猶予を相当とする事案とは認め難く、原判決が被告人を懲役一〇月及び罰金二、五〇〇万円に処したことは、その言渡当時においては相当であったと思料される。

しかしながら、原判決後において、被告人は胃潰瘍等を患って一時入院したほか、心労も重なって健康状態が不良であること、そのためもあって前記サカエ興業有限会社等六社の代表取締役をすべて辞任し、謹慎かたがた療養につとめていること、及び当審においては原審におけるような事実関係を争う態度を改め、原判決の事実認定を争わない態度に出ていて、反省の情を深めていると見られること等、原判決後における諸事情を考慮するときは、原判決の量刑は前記懲役刑の刑期の点でいささか重きに失し、これを破棄しなければ明らかに正義に反すると認められる。

よって、刑訴法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により被告事件についてさらに判決をする。

原判決が認定した事実に、原判決が適用したのと同一の法令(併合罪の処理を含む)を適用し、その刑期及び罰金額の範囲内で前記情状に鑑み被告人を懲役八月及び罰金二、五〇〇万円に処し、刑法一八条により右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 和田保 裁判官 新田誠志)

○ 控訴趣意書

所得税法違反 郭火盛

右被告人に対する頭書被告事件につき、昭和五七年三月一九日東京地方裁判所刑事第二〇部が言い渡した判決に対し、弁護人から申し立てた控訴の理由は左記の通りである。

昭和五七年六月二八日

右被告人弁護人

弁護士 関野昭治

弁護士 大石宏

東京高等裁判所第一刑事部 殿

原審は、公訴事実と同旨の犯罪事実を認定した上、検察官の懲役一年六月及び罰金三〇〇〇万円の求刑に対し、「被告人を懲一〇月及び罰金二五〇〇万円に処する」旨の判決を言い渡したが、以上述べるとおり、本件犯情に照すと、原判決は被告人に対し懲役刑につき刑の執行を猶予しなかった点において量刑が甚しく重きに失し不当であるから、破棄さるべきものと思料する。

一、逋脱犯については、一般刑法犯と異なり、法的規制として刑事罰の外に追懲税や重加算税などの行政制裁の規制があり、実務上逋脱犯として摘発されたものに対しては、例外なく、重加算税が課せられている。

重加算税の課税要件と逋脱犯の構成要件とは実際上ほとんど同一であるから、重加算税の上に更に刑事罰を課するには、犯情の点でそれを課するだけの高度の違法性を有し、社会的非難に価するものでなければならない。そうでないと、逋脱犯に対する行政制裁と刑罰とは異質なものとされながら、実際上、不合理な二重制裁の非難をうけることになる。

又刑事罰を課するさい、実刑と執行猶予のいずれかの選択が許されているが、特に自由刑の宣告では、両者の機能に格段の差異があるから、実刑を選択するには、それに価するだけの更に高度の可罰的違法性が必要となり、逋脱犯の情状判断については特に慎重であることが要請される。

二、逋脱犯に対する従来の裁判例の傾向を見ると、自由刑の宣告については、ここ一、二年間の若干の例を除き、実刑の言渡は皆無にひとしく、総て執行猶予の言渡がなされているのが実情である。もともと量刑の判定については、すべて裁判官の心証に委ねられているが、実刑か執行猶予かの選択についても、なんら法的に客観的な基準があるわけではない。しかし量刑が恣意的であったり、不公平にならないためには、できるだけ量刑の指針となる客観的基準を探し求めることが望ましいことである。

思うに、社会一般にみられる利益追求、利得願望の風潮から、現実には潜在的に広く脱税が多発しており、そして巨額の脱税も又かなり発生していることが当然推認されるのであるが、本来逋脱犯は潜在的な犯罪で端緒の発見が至難であり、課税当局の調査・査察能力にも限界があるため、所得税・法人税の逋脱犯の年間摘発件数は、それぞれ数十件の少数に限られているのが実状である。そこで裁判官の心証としては、このような実状に鑑み、起訴された少数の逋脱犯に対する量刑にあたって、隠れた大多数の未摘発者を念頭におきながら、公平な裁判による法的安定を考慮するために実刑の選択を躊躇させられ、一般的には、修正申告・更生処分で全額納税され、重加算税等も納付されている限り執行猶予を言渡し、ただし、高度の違法性を測定するための情状要素として、特に逋脱額、申告率から判断される脱税規模や不正行為の態様、程度につき慎重な判断を加え、著じるしく悪質と認められる、ごく少数の事案に限り、実刑の言渡がなされてきたものと推認される。

このような裁判の傾向は、長い間の、いくつもの実務の積重ねの上に、自然に形成されたものであり、逋脱犯に対する、前記税法上の規制の特殊性も十分加味され、組込まれてきたのであるから、このような裁判の傾向も又、裁判官の量刑判定の客観的基準になりうるものと言うべく、本件の裁判についても量刑の均衡を失わないように、これらの諸条件を十分斟酌したうえで刑の量定がなされるべきである。

三、そこで先づ、量刑判定の重要な要素として、本件逋脱税額及びこれに関連する脱漏所得額をみるに、原判決の認定によれば、

逋脱税額 五二年度 四四、四五六、五〇〇円、五三年度 三〇、〇六一、九〇〇円

脱漏所得額 五二年度 五九、三六五、二一三円、五三年度 五九、七〇七、三四〇円

で両年度の合計額は

逋脱税額 七四、五一八、四〇〇円

脱漏所得額 一一九、〇七二、五五三円

となる。

原判決がこの点につき「脱税額は同種事犯に比べて必ずしも巨額とはいえず」と判断しているが、経済の成長に伴い、急速に膨張した国の租税収入額や、個人に対する課税額の増大との比較においても、又、日常しばしば報導される大規模・巨額な脱税事案に対する感触からしても、本件は到底多額の逋脱額とは言えない程度のものである。

これについて、法務省刊行の「犯罪白書」五六年版(二七頁)所載の統計によれば、昭和五五年四月から五六年三月までの所得税法違反については、

告発件数 七四件

脱漏所得額 総額一三、九五〇百万円 一件当り 一八九百万円

脱税額 総額一一、二五〇百万円 一件当り 一五二百万円

となり、これと比較しても、本件のそれは一件当りの平均値を遥かに、下廻り、更に又、昭和五七年六月五日付朝日新聞夕刊の報導によれば、国税局が昨年四月から本年三月までに脱税容疑で査察した法人・個人は二三二件に上り、うち刑事告発した法人九八件、個人六九件の一件当り平均の不正所得額は二三、五〇〇万円、脱税額は一七、三〇〇万円で、これと比較すれば本件はきわめて小規模な事犯であることが窺われる。

次に、実際の総所得額に対する申告したそれとの比率、即ち申告率については、原判決自身も「本件の申告率も源泉徴収税を考慮すると約六五パーセントと比較的高率である」と理解ある判断を示しているし、更に又控訴審において証拠調請求予定の白石作成の報告書によれば、被告人は、申告所得とは別個に、申告不要の銀行利子等源泉分離課税所得として、

昭和五二年度 一四二、一九九、八一七円(源泉分離課税四八、三三八、九一一円)

昭和五三年度 一五〇、五七四、六四六円( 〃 五一、一九三、一六八円)

があり(推定)、それぞれ源泉徴収税は納付済となっているが、これを申告を要する実際の所得額に合算すると、総所得額に対する申告率は

五二年度 八一、〇パーセント

五三年度 八一、七パーセント

の高率となるのに、原判決はこれらの情状を軽視して、何ら量刑に反映させていないのである。

四、逋脱税額や脱漏所得額を情状として取上げるについて、本件では、原判決も認定している横領被害に係る無尽講収入の損失額も又当然考慮することが必要である。

即ち、昭和五三年中に発生した右の被害は、被告人の業務用資産の損失に該り、本来は、所得の計算上、所得税法七二条一項(雑損控除)の規定が適用されるべきであるが、この場合菊池衛証人が証言するように、担税力に応じた課税の公平という税法の趣意からすれば、同条同項と同法五一条四項(必要経費の算入)の規定は適用上明かに不均衡を生ずる結果になり、これを是正するため実務の運用としては、納税者の選択に従い、五一条四項に準じ全額必要経費に算入することが認容されているのである。(所得税法基本通達七二―一)。しかし本件確定申告がなされるまでに、右横領の被害が発覚していなかったため、事実上、右通達に従い、横領被害による損失を必要経費として計上することの選択が、事実上不可能な状況であった。又その後、右法条の不均衡を立法的に是正するため、同法七二条の条項は改正されたが、本件裁判時における右改正条項を適用すれば、横領による全損失額から五万円を控除した、ほぼ全損失額が雑損控除として所得金額から控除される筋合のものであるから、同法条の趣旨及び運用上の取扱に照し、当然被告人のため有利な事情として酌量さるべきである。

五、逋脱税額は法益侵害及び税負担の公平を侵害する程度を示し、申告率は行為者の納税意識・納税倫理の程度を測るものであるから、以上述べた通り量刑の判定基準としては最も重要な客観的要素として考慮すべきであるが、昭和五五年に実刑の言渡にあった(1)法人税法違反、逋脱税額四八、九〇〇万円(逋脱率九九パーセント)、(2)法人税法違反、逋脱額二四、九〇〇万円(逋脱率九四パーセント)、(3)法人税法違反、逋脱税額五〇七二万円(逋脱率一〇〇パーセント)、(4)所得税法違反、逋脱額一七、一一八万円(逋脱率一〇〇パーセント)の諸例(有斐閣刊行、租税刑法学会編、「租税刑事法諸問題」(二二頁引用)に照し、本件は逋脱税額・申告率の程度からみて脱税の規模は遙かに小さく、この点だけを採りあげても、実刑を宣告した原判決は従来の裁判例の傾向からかけ離れ、甚だしく均衡を欠いて不当である。これらの要素につき、原判決は、判決理由の末尾に僅か一、二行を費して説示したに止り十分な吟味をしなかったのは、以上述べた客観的基準を軽視し、犯情の軽重につき判断を誤ったものと云わなければならない。

六、逋脱犯においては、その構成要件である不正行為の態様も亦、行為者の反社会性、反道徳性を反映するものとして量刑の判定上、きわめて重要な情状要素である。

この点について、原判決は、不正な行為の態様として、共和商工協同組合などへ組合に対する貸付名義で行われたことを挙示するに止るが、事実又本件でみられる不正行為の態度はその程度に止り、それ以外に積極的な偽計その他の工作がなされていない。そして、貸付名義を架空人名義にした経緯も、後に詳述する通り、組合側の慫慂に応じ、当時組合で行われていた常套方式に従っただけで、被告人が自発的・積極的に作為したものでない、特に無尽講収入の脱漏については特別の作為は全くなく、これだけをとりあげれば単純不申告の程度に止まるもので、いずれの場合も、不正行為の態様はきわめて単純でかつ軽微なものであり、到底実刑を言渡すほどの悪質な情状とは言えないのである。逋脱犯については、通常事前になされる帳簿類の粉飾・二重作成などの秘匿行為、査察開始後になされる税務職員に対する虚偽答弁、関係書類の隠匿、その他の不正工作などが顕著な事例としてみられるのであるが、本件についてはこのような行為は全く行われていない。

原判決は、被告が「貸付金の証書を別荘のピアノの中に隠す」などしていたことをとりあげ、これを過去に脱税事件の裁判を受けていたことと結びつけ、脱税の発覚を免れることを恐れてなされた工作と推断し、「被告人の脱税の意思はかなり強固であったといえる」と結んでいるが、被告人が貸付証書をピアノの中に入れておいたのは他の国債の証書類などとともに一括し、盗難防止のため一時人目につかぬところに隔離していた程度のことで(控訴審において立証予定)、この点に対する被告人の弁解が十分尽されていなかった憾みはあるが、一件記録上も、原判決が云うように過去の裁判と結びつけて計画的、意図的になされた工作と断定するほどの証拠はなく、原判決の判断はいささか誇張に過ぎる嫌いがある。

むしろ被告人は本件査察が開始されて以来、係官の取調に対しては率直に事実を認めて反省の態度を示し、架空人名義の貸付金調査については、証人城戸税理士に依頼し、協同組合職員も動員して一日も早く事件を解明すべく、査察官に協力しているのである。

以上のとおり、本件でみられる不正行為の態様はきわめて軽微なものであり、、他の一般の例に徴しても、これを実刑に処するだけの高度の可罰的違法性は認められないのである。

七、原判決は判決理由中に、量刑の事情についてるる述べているが、量刑判定に必要な情状要素の説示について、所論の重点がいずれにあるのか必ずしも明白でなく、又それだけをもってしても実刑を課するほどの悪質な情状を見出しがたいのである。強いてあげれば、犯行の動機が、「当初より無尽講及び貸付による利息収入につき、申告、納税する意思が全くなく、全額これを脱税する積り」の計画的なもので、「三〇億円もの資産を有するにもかかわらず、更に財産を殖すために本件の脱税を行ったもので」利殖・蓄財だけの為になされたものと断定し、これを悪質な犯情として捉え、実刑を言渡したことが窮われる。

しかしこの点に関し、原判決は、本件脱漏所得の収入源である、華僑達の協同組合や無尽講の性格・事業内容、被告人がこれに加入し、出捐してきた経緯につき十分な理解を欠いたため、所論が一方的な偏見に走り、ひいては量刑の判断を誤る結果になったのである。

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